2007年2月 7日

故 三上 清一 お別れの会

 去る1月4日に、僕がお世話になった三上建築事務所の先代所長であった三上清一氏が亡くなった。

 大正15年生まれ、享年80歳であった。

 事務所の所長職は、一昨年に退いてはいたが、まだまだ元気で100歳までは生きそうな感じであった。

 連絡を受けたときには、急な知らせにしばし呆然となった。なんというか、目の前を歩いていた漠然とした後ろ姿が突然居なくなってしまったような喪失感を感じた。

 亡くなって一ヶ月が過ぎた今もその感じは消え去らない。


 三上事務所に在職中に僕は三上所長には、志を教えられ、時に敬服し、たびたび怒られ、腹も立て、時には憎み、時々期待され(たぶん)、たびたび期待を裏切ってしまったり、ほんの少し期待に応えられたり、励まされたり、いろいろあった。

 かなり複雑な感情を持っている。「好きだし、嫌いだし、無視したいし、コッチを見て欲しい。追い抜きたいし、先導してもらいたい。」

 でも、間違いなく今の僕のかなりの部分は、三上所長との関わりの中で形成されている。

 200名を超す他の元所員・現所員たちもみんなそうだろうと思うが、まさに”親父”のように感じている。

 僕の実際の父は存命なので、本当のところは判らないが、三上所長がいなくなったこの喪失感は、たぶん親父を亡くした喪失感なのかもしれない。



 ”昭和元年ではなく、大正生まれ”ということにこだわり、”人に尽くす”ということにこだわった”親父”であった。

 昨年の秋頃から体調を崩し入院していたとのことであったが、割と近くにいたはずの僕みたいな不肖の弟子には知らせずに、最後まで逆に不肖の弟子を気遣ってくれていた。

 今年あたりには、僕も頑張って、立派とまではいかなくても、そこそこに一人前になって、親父とわだかまり無く話せるようになりたいと思っていた。間に合いませんでした。



 三上所長からそれこそ耳にたこができるほど聞かされた言葉「設計とは人様のお金を使って、人様の物をつくらせてもらうこと」「人に尽くす立場」。

 三上所長の座右の言葉「耕自而不倦(自らを耕して倦まず)」



 「お別れの会」が2月7日に執り行われた。

 三上所長、本当にありがとうございました。


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