2007年1月22日

高校卒業25周年!!

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 気がついたら、高校を卒業して25年!
 僕の卒業して高校では、卒業して4半世紀ということで、記念同窓会なるものをやるしきたりがあるそうだ。(高校第34回卒業)
 25年前に決めた同窓会幹事たちが、準備をしている。(事務局は、同窓生で母校の教師となっている2人。ご苦労様です)
 幹事ですら連絡付かずの人もいる。そこで、同窓生約350人をまとめるのは大変なので、僕みたいなヒマそうな自営業の人間も駆り出された。

 トップの写真は、僕の卒業した茨城県立土浦第一高校の旧本館。設計は、駒杵謹治、昭和51年に国の重要文化財に指定されている。
 木造ゴシックの素敵な校舎でしょう。
 僕が入学した昭和54年は、新校舎建設中で、3年生の普通教室と美術室として使われていた。(1・2年生はプレファブ校舎。工事の音がうるさくて、夏はものすごく暑かった。)
 僕自身は、この校舎の教室では高校の入学試験を受けただけ。暖房もなく、天井が高く、すきま風の入る寒い教室だった記憶しかない。

t1_kyoushitu.JPG 教室内観。現在は、机・椅子などを復元して保存されている。

 同窓会準備会で訪れた日は、たまたま内部公開日だった。

RIMG0005.JPG 廊下内観。ゴシックぽい縦長デザインのプロポーション。

 でも、廊下巾は狭い!(この際関係ないが、建築基準法では学校の生徒用廊下としては不適格。)



 数年前に、公立高校としては東大入学者数が全国一位となった我が母校であるが、僕らの頃はそんなたいしたことなく、普通の田舎の進学校だった。忘れていたのか、はじめて聞いたのか分からないけど、「学年+3時間の自宅学習」が必須だったらしい。そんなに家に帰ってから勉強してなかったよなぁ。
 まあ、そんないじましいような先生方の指導の甲斐あって、全国有数の進学校になったとのことであるが、真実は、つくば研究学園都市に集まった研究者たちの子息が・・・ということだろう。

 同窓生の現在の職業は、驚いたことに約1/5が小中高校の教員になっている!ちょっと多すぎないか?

 その他、同窓ではお医者さんになっている人が多く、噂ではあのWBC日本代表監督の手術の執刀医は、同窓で成績トップだった彼らしい。

 コロコロコミックに去年まで連載していた”ロックマンエクゼ"の漫画家、鷹岬諒も同窓である。

 ホストから風俗店経営、不動産業、闇カジノ経営を経て介護関係の仕事をしている壮絶なヤツもいる。

 同窓の彼ら彼女らの活躍ぶりは、眩しいばかりだ。僕ももっと、がんばろう。

 

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コメント

えー25周年、計算違いとちゃうか、、、
ずいぶんと月日はたったのだなー、一高と言えば僕なんぞは絶対に入れない高校であったが、僕の母校、真鍋小学校の隣にあるので旧本館は写生会で書かされたもんですよ。
僕の家は真小から一高の校庭を挟んだ反対側だったので、入学は出来ないが毎日校庭を通過してたんだよんw
小学校の時はよく遊びに行っていた高校なので凄く懐かしいです。

たかっぱさん、こんにちは。
高校卒業してから、まもなく25年たつのですよ。
お互い歳もとるわけです。

今では、体育館が別の所に建て替えられて、それに伴い、グラウンドもレイアウト変更されたので、たかっぱさんの記憶とは校庭の印象が違っているかもしれません。

帰国の際には是非お立ち寄りを!お伴します。

いつごろかわかりませんが、、、今年は一度帰りたいと思っていますのでお伴願います。

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