2006年7月28日

一級建築士って?

060724YOMIURI

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 少し遅くなってしまいましたが、この前の日曜日(23日)は、一級建築士の学科試験でした。ご存じの方も多いと思いますが、建築士の試験は、1次(学科)と2次(製図)があり、年に1回ずつ行われます。
 今年も、建築士会の手伝いで試験監理員を務めてきました。茨城試験場では例年になく欠席率が高かった(約20%強)のです。昨年末から耐震偽装問題を契機に、建築士の資格制度の見直しも揺れ動いているし、この”建築士”という資格は魅力の無いものになってきているのかぁ?と感じたのでした。

 そんな折、試験翌日(24日)の読売新聞一面に、

「今さら受けたくない」建築士再試験、猛反発で断念?

という記事が、・・・。
 

 ものすごい書かれようです。

 分譲集合住宅やホテルなどの耐震偽装などの再発防止を図るため、国土交通省は建築基準法や建築士法の改正を検討しているそうですが、検討案の一つに「全一級建築士の再試験、資格と業務範囲の改編」というのがありました。その他にも”監理業務の明確化”や”設計・施工の一括請負禁止”などの改正を検討している案は色々あるのですが、何故か、読売新聞は6月末から「全一級建築士の再試験」にことさらに着目しています。
 でも、そもそも”構造や意匠、設備など幅広い知識を試験”で問えば、姉歯元建築士のような建築士が再び現れなくなるのか?たぶん倫理観のない人でも、知識を問う試験には合格します。
 それよりも、施工者の下請けで設計という仕組み自体に問題があるような気がするのだが・・・。

 そして今度は、

”「再試験」を行わないのは、全国の一級建築士から反対や抗議の電話などが殺到したから”

という論調です。この記事では、「世の中の一級建築士は、努力もせずに既得権益を守るために公共の安全性をないがしろにしている。」「国土交通省は、全国の一級建築士たちの電話などによる圧力に屈して日和ってしまった。」といった論調に感じます。

 建築士ってそんなに悪い人達が多いワケじゃないんだけどなぁ。中越で地震があったときなんか、手弁当で駆けつけ、住宅などの応急危険度判定や住宅相談などを行った建築士もずいぶん居たのになあ。(僕の知っている限りでは、被災地で営業活動している人は居なかった。また、駆けつけたときは報酬は出ないということだった。(結局、半年後に国土交通省から日当が支給されましたが))

 ていうか、抗議の電話や投書で法律って左右されるものなのか?

 確かに、社会情勢を反映した法律と技術に関する専門的知識と業務処理能力を問われ、業務の独占権を認められた資格者が、一度合格してしまえば、何の継続的な努力もなしに一生その権利を使えるのはおかしいと感じます。
 そこで、一案として「全員に再試験」ということを検討していたようですが、その他の改正案と共に建築士会連合会や建築士事務所協会・建築家協会などに意見を求めたところ、文書による回答があったということだそうです。(詳しくは、コチラに国土交通省の正確な議事録があります。)それを受けて、「どうやら再試験は実行するのは難しそうだ。」という意見だ出た、といったところが正確なようです。
 改正案を成案として国会審議するために、今後、国土交通省は改正案をまとめた後公開し、パブリックコメントを求めるそうです。
 しかし、社会に影響力を持つ責任がある大新聞がこんな恣意的な記事で物事を正確に伝えなくても良いのか?と強く疑問を持ちました。
 今回は、自分の職業資格のことなので、正確に知りたくてちょっと調べてみましたが、もしかすると、新聞に書いてあることなんて、ゼーンブこの程度のいい加減なものなのかも?

 どうでもいいですが、黒川紀章さんの

(前略)設計事務所の資本金など、幅広く評価する仕組みが必要だ。
というコメント、意味判りません。相変わらず、何故かマスコミ受けはするが、意味不明のこという人です。”資本金”でなくて”資本関係(つまり、その設計事務所がゼネコンなどの子会社か否か)”というのなら意味判ります。
 何故、職業倫理についてのコメントを、よりによってこの人に聞くんでしょう?コメント求めた新聞社の不勉強ぶりにも呆れます。
 建築士の業務範囲も正確性に欠くので、下表参照。
kennchikushi
 まぁ、新聞記事の正確性と責任についてはともかくとして、”再試験”で知識を問うことが、耐震偽装のような問題の再発防止につながるかどうかは疑問がありますが、何らかの継続的学習の仕組みは必要だと思います。
 
 建築士というと「設計・監理を行うために必要な資格」なのですが、有資格者や受験者は必ずしもそうではないのです。殆どが施工を行う人、施工を管理する人、建材やサッシなどのメーカー、ハウスメーカーの技術営業と称する人、公務員などです。この人たちは、当然仕事で使わない知識や技術なので、とりあえず合格するために資格試験に合格するための塾みたいな所に通って知識を詰め込み、合格したらそれで終わり、継続的に設計・監理について学習などしません。肩書きが残るだけです。
 
 建築士の受験申し込み時の書類受付審査員もやりました。
 受験資格には”学歴によってある一定以上の実務年数”が必要なのですが、その実務として認められる内容が必ずしも設計や監理の業務ではないのです。

 たとえば、建築系の大学院での2年間も実務期間に認められてます。
 例え研究テーマが「壁面吸音材の生産性の向上」ということで、1回も建築図面など書いたことが無くても、また今後も”建築の”吸音材生産の研究者として暮らすので、建築図面など書くことが無くても、OKです。
 「なぜ建築士の資格が必要なの?」と尋ねてみたら「大学も建築士の資格の有無を採用・助手・助教授・教授という出世の考査項目の一つにしているから」ということでした。いやはやなんとも・・・・。

 大工の経験も実務経験に認められています。
 本来的な大工の仕事をしていれば、建築全般についての知識も経験もあり、下職もまとめられ、計画から設計・施工・維持管理までの能力があるといえます。が、しかしハウスメーカー専門の大工でも良いんです。つまり、一応電動工具を使って木材を住宅にくっつけることをやっていれば、実務経験になります。

 この様な人達も受験塾に通って知識を詰め込み、合格すれば、”設計・監理のできる”建築士です。
 一級建築士になれば、日本ではどんな建物でも設計・監理できる業務独占権が得られるのです。  

 これでは、建築士の免許なんぞは、
”国から権利は与えられているが、国民の安全に対して何の責任も持たない資格”

 といわれても仕方がないでしょう。

 ”建築の設計・監理ができる知識と技術を持ち、その知識と技術を維持向上させることを怠らない。その上、社会に対しての責任感を持つ”ことを認めて貰える資格とならないとダメでしょう。

 そのためには、建築の設計・監理を行う資格者の間口は狭くしなくてはならないでしょう。
 建設会社の人間には”施工管理技師”、工事をする人には”技能士”、研究者には”博士号”、建築指導行政には”建築主事”でいいんじゃないですか?
 そして、設計・監理者を専業とする人に”建築士(家?)”。また、構造や設備などの専門分野だけの設計・監理を行う人には新たに資格をつくるのが良いのではないかと思います。

 と、まぁ、以上のようなことを思うのでありますが、現実には、
「資格取るのは結構難しい割に、信頼されてないみたいだし、大してお金になりそうにないから受験するの止めるか?」てなことで、欠席者が多かったのかも知れません。
 
 


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