さよなら、幼稚園
下の娘が、幼稚園を卒園した。
娘の通っていた幼稚園は、少子高齢化の最近では珍しく、4クラス/学齢もあり、卒園児は126人。 ということで、卒園式は、幼稚園の駐車場が一杯になってしまい近隣に迷惑を掛けてしまうため、茨城県立文化センターで行われた。(文化センターは、故 芦原 義信氏の設計)
上の息子と下の娘は、3歳違いなのでトータルで4年間(二人とも2年保育)、足かけで5年間、2つの幼稚園とお付き合いした。永いようで短い5年間であったがこれでいよいよお別れ。
妻は妙に寂しく感じるらしく、「いよいよ、幼稚園に通わなくなっちゃうのか・・・。」などと沈んでいる。
僕も「いよいよ幼稚園とお別れか・・・。」と寂しく思うが、どうやら全然違うことで、寂しくなっているらしい。
妻は母として、娘が自分の躰の一部だった存在から、だんだんと手助けしなくても生きてゆけるような存在になることを「自分から離れていってしまう」と感じて寂しがっているようだ。
僕は、例えで云うとかえって判りづらいかもしれないが、幼稚園も小学校も子供を教育する場として一種の人格製造工場みたいなものと考えると、”幼稚園は、手作り的な家内制手工業の工場(こうば)みたいなところ。小学校は、工場制手工業の工場(こうじょう)みたいなところ”に思えるから、家内制手工業の工場とお付き合いが無くなってしまうのが寂しく感じるのです。
小学校ってプロの教師が例年の行事をつつがなくこなしているような感じで、運動会にしても発表会にしても幼稚園のような危なっかしいけど楽しい手作りの感じが無いように感じるのです。
それはともかく、幼稚園に入園した時には、ひらがなも読めなく、数字も数えられなく、自分から話しかけることもできなかった子が、一応相手の話していることを理解して、自分の考えを言えるようにまでなりました。逆上がりも、自転車も、縄跳びもできるようになりました。甘えん坊だった子が、人と揉まれる中で、頑張ってやれば自分にもできると云うことを覚えました。
そんな教育をしてくれた幼稚園に感謝です。
P.S.僕の本音は、幼稚園の若いカワイイ先生たちと会えなくなるのが、一番寂しいのかも・・・?
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