「もう少し」という後悔
人は、目の前から無くなってしまってから、失ってしまったものの大事さに気づく。
もう少し、大切にしていたら・・・。
もう少し、考えていたら・・・。
もう少し、そばに居てあげられたら・・・。
もう少し、話しかけていたら・・・。
もう少し、話しを聞いてあげられたら・・・。
もう少し、本音で話していたら・・・。
もう少し、強引にでもリードしてあげられたら・・・。
もう少し、一生懸命になれたら・・・。
・・・
もう少し、長い時間を一緒に過ごしたかった。
もしできることなら、どんな犠牲を払ってでも時間を巻き戻したい。
でも、それは無理。
すぐ手の届く所にあった時には、すぐとなりに居た時には、その大切さに気づかずに、大切にしてこなかった。
思い返せば、そんな自分の幼さが無性に恥ずかしい。
失ってしまってから、失ったものの大切さを痛感し、後悔する。
過ぎ去った時間を思い返し、すがりつこうとあがく。
振り返ってみたら、僕はいつもそうだった。いつも目の前から消え去られてから、その大切さに気づき、みっともなくすがりついていた。
40を過ぎてやっと気づいた。今、目の前にあるもの、目の前に居る人を真剣に考える。今できることを出来る限りやる。
それでも、目の前から去ってしまった時には「もう少し」の後悔は残ってしまうだろう。
「もう少し」という後悔の「少し」を出来るだけ小さくするしかない。
過去の積み上げが自分を形成しているのは確かだ。だけど過去を取り戻すことは出来ない。
今をひたすらに生きることが今自分にできること。
そうしてまた「今」が過去になり積み重なっていく。
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