2006年2月 1日

デザインするということ


samurai01


 これらのデザインは、佐藤可士和氏というアートディレクターのつくったものたちです。

 昨日(1/31)放送されたNHKの番組プロフェッショナルの主役でした。

 彼の言葉に刺激を受けたり、共感することが多かったので、書くことにします。(僕自身が忘れないように)



 

「アイデアの答えは相手のなかに必ずある。」という信念のもと、そこで分かった課題の答えを解決するためのデザインをおこす。

 つまり、デザインする上で自我を通すことよりも依頼してきた相手を分析し、イメージを導き出すというような感じかな?彼は博報堂のデザイナーとしての5年間ぐらいを「邪念がいっぱいあった。賞が欲しいとか、カッコいいものをつくってデザイナーとして評価されたいとか。商品にとって正しい広告とは何かということが見えていなかった。」と語り、「それが車の広告のビックプロジェクトに入り、仕事への取り組み方が変わった。はじめて自我を捨てて、商品と依頼企業にとって何が大事なことかを真剣に考えた。」という。

 ”建築の設計”ということも”広告をデザインする””商品をデザインする”ということも、大きくは”ものを考えてつくる”ということでは同じ括りにあると思う。僕も設計する上でのイメージの源泉は依頼者の中に必ずあると信じている。そこからできあがる具体的な形は、僕が設計すれば、どうあがいても僕のパーソナリティーを反映したものである。それがものをつくる者のささやかな自我の通し方だと思っている。



 また、彼は博報堂内での社内評価で、彼のデザインしたモノをこう評価され、それが彼のデザインに対する考え方の転機になったという。それは、「カッコつけているのが、格好悪いよね。」という評価だったそうだ。

 これは、若いデザイナーにとっては大変なショックだったと思う。「デザインが修練されていない」とか「デザインが稚拙」とかいう評価であれば、「もっと頑張ってやる」って気にもなるが、「カッコつけているのが格好悪い」というのは、「みんな、どうだ俺ってカッコイイだろー」ってやっていること自体を「ちょっとあの人、カッコつけてて力はいりすぎでキモーイ!」といわれたみたいな感じで、根本から頑張り方を否定されたようだったと思う。

 それで、彼は素直に対象となるモノに正対してデザインするようになったのだという。


 

最も困難な道を選ぶ:決断するときいつも、難易度が高く、ごまかしがきかない方向に自分を持って行くと言う。そのうそをつかないこと、潔いことが、強い表現を生むと信じているから

 これは見習わなくてはいけない言葉だ。時間的な理由、経済的な理由、政治的な理由(?)を言い訳にして安易な方向へ妥協してしまいがちな僕に、この言葉はガツンと響く。忘れないようにしよう。



 彼のことをインターネットで検索したら、・・・。出てきました。またしても糸井重里さんの所の”ほぼ日刊イトイ新聞”にありました。2005年の4月2006年1月に糸井氏と対談してます。



 彼は幼稚園の設計にも手を広げたようです。そのコンセプトは”巨大な遊具”だそうだ。どんな幼稚園になるのか、気になる。

 ちなみに彼の父親は芸大出の建築家だそうだ。

 

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