2005年11月15日

水戸の中心市街地

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 ダイエー水戸店も撤退しました。かなり集客力は落ちていたようで、仕方ないと思います。
 が、かつては目抜き通りとして賑わっていた通りに面して長い壁面が仮囲いで覆われると、街の景観がかなり寂しい感じになり、黄昏れます。
 マクロ的に考えると、もはや駅前から続く通りは、商業地としての存在価値は無いのかも知れません。特に地方都市の場合は、成人一人当たりの自動車保有数が一台に近く、周辺にバイパスと称した広幅員の真っ直ぐな道路が造られているので、旧来の駅の近くの商業地は、存在価値が無くなっています。
 では、僕たちは、このような経済的な要因で街が変わっていくのを黙って見ているだけでよいのでしょうか?



 そもそも、商業地としての中心市街地も、経済的な要因を優先させて形成されてきました。収益をより多く上げるために、その土地に建てられる限り出来るだけ多くの床面積を確保しようとしてきました。未だに、再開発の手法では、なるべく多くの建物の床面積を生み出し、その床を売ったり貸したりすることで収益を上げる方法を基本としています。いきおい、大規模化・高密化します。建物は自己主張し、独りよがりな看板だらけになります。

 その結果、もっとミクロな事柄や地勢・環境などの数値では表せないモノを切り捨ててきてしまったのではないでしょうか?

 お金という価値観を優先してつくられてきた街は、同じお金という価値観を尺度としている限りは時と共に風化していくしかないのでしょう。いや、風化では美しすぎますね。地方中核都市の現状を見ると「崩れつつある」という現状だと思います。





 情報・通信・運送などで新しい技術が生まれ、効率化が著しい現在に於いては、フィジカルな意味での土地に呪縛されたことは少なくなってきているような気がします。

 そういった意味から今こそ、お金という価値観だけでない別の価値観を持った視点を街に持ち込むチャンスだとはいえないでしょうか?青すぎますか?

 以前、某会社の水戸の中心市街地近くの土地に、集合住宅と商業・医療・福祉・事務所の複合計画を提案したことがあります。その土地の持つポテンシャルをそれなりに検討し、街に生活する場としての環境を考えた提案のつもりでしたが、その某会社の若い未来の経営後継者は、事業収支計算書と面積表だけを見て「なんで許容の容積率が600%あるのに300%しか建てないの?」とおっしゃいました。これからは、地方都市の中心市街地へのニーズとしては、大規模高密化するよりも環境を重視した生活の場が求められるので、あえて容積率は少なめにした(もっと本音で言うと、持ち主が思っているほど需要が高くはなく、そんなに床面積大きくしても環境が悪くなるばかりで床が埋まりません。)ということを説明したが、容積率にこだわり、事業収支計画での収益費の少なさにこだわり、理解されなかった。

 たぶん、彼が企業人として大人で、提案したコチラは青臭いということになるのでしょうが、若い彼が経済的な数字に囚われているのは、ショックでした。


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 撤退したダイエーと同じ通りの辻にある食堂です。古くからある小さな食堂ですが、ちょこちょこ化粧直ししながら頑張っています。何とも看板がかわいらしいと思いませんか?自動車という交通手段を持たないお年寄りや中学生などが主なお客のようです。
 こんなところに、街のこれからを考えるヒントがあるような気がします。  

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